【第5話】帰宅途中のため息①、ため息②、ため息③
同じ失敗を何度繰り返せば気が済むのだろうか。日頃から「自分に失敗はあるが間違いはない。」と唱え、失敗を糧とすることを尊重していたはずだった。
しかし、こうも続けば信用は丸つぶれである。
「はぁ。」
思わずため息が漏れる。琥珀色のコーヒーを口に含み、味わいもせず飲み込む。先程まで《ため息》を吐くことによって空となっていた体内の空間が埋められ、わずかな安心感を得られるようだった。
私は自宅への道を歩いている。クリームソーダの川の生クリームに足を取られそうになり、けだるさを感じる。朝、爪にせっせと塗りつけたトップコートも剥がれかかっていた。
似ている言葉ではあるが、失敗と間違いは違う。それは「やらかしたこと」そのもので分けられるのではなく、「やらかしたこと」から学ぶ度合いで分けられるのだと思う。
間違いには《やってはいけない》というような「禁止」が大きく内包されているが、失敗には《将来の成功》といったような「期待」が大きく含まれているように感じる。
「間違えた!」って言うより、「失敗した!」って言う方がなんとなく気持ちがいいの。
もちろん今回やらかしたことについても、反省して学びを得ようとすることはできるよ。
でも、頭ではわかってるけど、という気分。ちょっと疲れた。
炭酸質の河川を渡りきり、ダンボールが香る神社へと向かう。
「はぁ。」
二度目のため息が漏れる。そういえば、ため息を吐くと幸せも漏れるんだっけ。
すぐさま地面に膝をつき、ソレをすくい上げ、トートバッグに押し込んだ。
おや?
もう一度、ため息をつけば、三匹のため息でかけっこが可能だ。もう一匹目はゴール目前かもしれないが、まだ終わらせない。賑やかで胸の高鳴る運動会にしてみせる。
「はぁ。」
三匹目。このため息はコーナリングに自信を持っており、男前ゆえ観客の声援を集めやすい。言うなれば、ハイスペックため息。
是非とも、この不条理な競争を楽しんでもらいたいものだ。
気づくと、ため息を吐いたにも関わらず、足元には一つの幸せも落ちていなかった。幸せは漏れなかったのか、もしかしたら勢い良くため息を吐きすぎて誰かに幸せを渡してしまったのかもしれない。
ふふ、これほどポジティブなため息を吐いた自分に誇りを持つとしよう。
【第4話】ホームセンターにて
細君と子供2人の4人でホームセンターへやってきた。
到着して間もなく、子どもたちは駆け出し店舗の中へと姿を眩ませた。迷子?心配ない。
彼らにはホームセンターでの遊び方の基礎をほとんど教えている。
教科書(注1)を買い与え、実践演習も済ませているし、従業員証も渡している。動物コーナーでカエルの合唱が始まるものならお尻と肘を使ってコードCのベースを刻むことができるし、行き交う人々の手相を雑に占うこともできる。手配は完璧。
今頃、子どもたちは心躍る宝探しに夢中であろう。
さて、我々大人も参る。
入店した後、一旦細君と別れ個人行動を取る。向かうは木材コーナー。おがくずの粉々しい空気が漂うスペースではあるが、柔らかい木の匂いを味わいつつ、頭のなかで木材を加工し組み立て装飾を楽しむことができる。
犬小屋、本棚、便座、生ハムのカプレーゼ。想像に花が咲く。
宝探しへ参加しようかと思った矢先、細君が買い物かごを持って現れた。彼女は私の視線をカゴの中へと誘導する。
カゴの中にはボルトとナット、乾電池が敷き詰められ、中央にはサトイモ科スパティフィラムの鉢が置かれ、鉢の土には2本の赤色水彩絵の具のチューブが刺さっていた。
細君のチョイスはいつも他者への配慮が行き届き、詩的で美しい。つまり、センスがあると言いたいのだ。
しかし、彼女に直接言おうものなら、得も言われぬ羞恥にさらされ紅潮する私の顔面に氷水を叩き落とさなければ平静を保てない。つまり、恥ずかしいのだ。
かと言って、自信に満ちている彼女を無下にするわけにも行かない。一声残すことが礼儀であろう。
「オゥ......イエフィ......デュフッ」
唇がカッサカサであったことを忘れていた。
サボテンすら瞬時に枯れてしまうほどにカッサカサだ。私の唇の皮で研究しようものなら、論文数本の執筆が可能である。 もし今が江戸時代であれば、その鋭利な唇に価値を見出され竹槍部隊に推薦されていただろうか。
そんな私の〈湿り〉を知らぬ部分から発せられた低質な一言に気にも留めず細君は笑顔で応じる。
「とてもうれしいです!特にボルトとナットの数をあえて合わせていないところがミソです!」
私は一切の疑問もなく頷く。
細君の傍らにはいつの間にやら宝探しの中間報告にやってきた子どもたちがまっすぐこちらを見据えていた。
彼ら子どもたちを小便臭いと揶揄することはおこがましい行いだと思う。確かに知識と知性に欠ける部分はあるが、アイデアに溢れ意欲的。ゆえにいとも簡単に芯のないロウソクに火を灯すのだ。
(注1) Eric R. Kandel, James H. Schwartz, etc. 『PRINCIPLES OF NEURAL SCIENCE fifth edition(日:カンデル神経科学)』, MacGraw-Hill, (2012)
【第3話】カリフラワーとぼくたちの話
【第2話】姉の寝起き
【第1話】行き慣れた喫茶店での姉との再会