腹の足しにもならない話

28歳OL男です。お尻が2つに割れているタイプの妖精さんです。

【第5話】帰宅途中のため息①、ため息②、ため息③


 同じ失敗を何度繰り返せば気が済むのだろうか。日頃から「自分に失敗はあるが間違いはない。」と唱え、失敗を糧とすることを尊重していたはずだった。
 しかし、こうも続けば信用は丸つぶれである。

 

「はぁ。」
 思わずため息が漏れる。琥珀色のコーヒーを口に含み、味わいもせず飲み込む。先程まで《ため息》を吐くことによって空となっていた体内の空間が埋められ、わずかな安心感を得られるようだった。

 

 私は自宅への道を歩いている。クリームソーダの川の生クリームに足を取られそうになり、けだるさを感じる。朝、爪にせっせと塗りつけたトップコートも剥がれかかっていた。


 似ている言葉ではあるが、失敗と間違いは違う。それは「やらかしたこと」そのもので分けられるのではなく、「やらかしたこと」から学ぶ度合いで分けられるのだと思う。

 

 間違いには《やってはいけない》というような「禁止」が大きく内包されているが、失敗には《将来の成功》といったような「期待」が大きく含まれているように感じる。

 

 「間違えた!」って言うより、「失敗した!」って言う方がなんとなく気持ちがいいの。

 もちろん今回やらかしたことについても、反省して学びを得ようとすることはできるよ。

 でも、頭ではわかってるけど、という気分。ちょっと疲れた。


 炭酸質の河川を渡りきり、ダンボールが香る神社へと向かう。

「はぁ。」
 二度目のため息が漏れる。そういえば、ため息を吐くと幸せも漏れるんだっけ。
 すぐさま地面に膝をつき、ソレをすくい上げ、トートバッグに押し込んだ。


 おや?

 

 もう一度、ため息をつけば、三匹のため息でかけっこが可能だ。もう一匹目はゴール目前かもしれないが、まだ終わらせない。賑やかで胸の高鳴る運動会にしてみせる。

 

「はぁ。」
 三匹目。このため息はコーナリングに自信を持っており、男前ゆえ観客の声援を集めやすい。言うなれば、ハイスペックため息。

 

 是非とも、この不条理な競争を楽しんでもらいたいものだ。

 

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 気づくと、ため息を吐いたにも関わらず、足元には一つの幸せも落ちていなかった。幸せは漏れなかったのか、もしかしたら勢い良くため息を吐きすぎて誰かに幸せを渡してしまったのかもしれない。

 

 ふふ、これほどポジティブなため息を吐いた自分に誇りを持つとしよう。

【第4話】ホームセンターにて

 

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  細君と子供2人の4人でホームセンターへやってきた。

 

 到着して間もなく、子どもたちは駆け出し店舗の中へと姿を眩ませた。迷子?心配ない。
 彼らにはホームセンターでの遊び方の基礎をほとんど教えている。

 教科書(注1)を買い与え、実践演習も済ませているし、従業員証も渡している。動物コーナーでカエルの合唱が始まるものならお尻と肘を使ってコードCのベースを刻むことができるし、行き交う人々の手相を雑に占うこともできる。手配は完璧。
 
 今頃、子どもたちは心躍る宝探しに夢中であろう。


 さて、我々大人も参る。

 入店した後、一旦細君と別れ個人行動を取る。向かうは木材コーナー。おがくずの粉々しい空気が漂うスペースではあるが、柔らかい木の匂いを味わいつつ、頭のなかで木材を加工し組み立て装飾を楽しむことができる。
 犬小屋、本棚、便座、生ハムのカプレーゼ。想像に花が咲く。

 宝探しへ参加しようかと思った矢先、細君が買い物かごを持って現れた。彼女は私の視線をカゴの中へと誘導する。
 カゴの中にはボルトとナット、乾電池が敷き詰められ、中央にはサトイモ科スパティフィラムの鉢が置かれ、鉢の土には2本の赤色水彩絵の具のチューブが刺さっていた。

 

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 細君のチョイスはいつも他者への配慮が行き届き、詩的で美しい。つまり、センスがあると言いたいのだ。
 しかし、彼女に直接言おうものなら、得も言われぬ羞恥にさらされ紅潮する私の顔面に氷水を叩き落とさなければ平静を保てない。つまり、恥ずかしいのだ。
 かと言って、自信に満ちている彼女を無下にするわけにも行かない。一声残すことが礼儀であろう。

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「オゥ......イエフィ......デュフッ」
 唇がカッサカサであったことを忘れていた。
 サボテンすら瞬時に枯れてしまうほどにカッサカサだ。私の唇の皮で研究しようものなら、論文数本の執筆が可能である。 もし今が江戸時代であれば、その鋭利な唇に価値を見出され竹槍部隊に推薦されていただろうか。

 

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 そんな私の〈湿り〉を知らぬ部分から発せられた低質な一言に気にも留めず細君は笑顔で応じる。
「とてもうれしいです!特にボルトとナットの数をあえて合わせていないところがミソです!」
 私は一切の疑問もなく頷く。

 細君の傍らにはいつの間にやら宝探しの中間報告にやってきた子どもたちがまっすぐこちらを見据えていた。
 彼ら子どもたちを小便臭いと揶揄することはおこがましい行いだと思う。確かに知識と知性に欠ける部分はあるが、アイデアに溢れ意欲的。ゆえにいとも簡単に芯のないロウソクに火を灯すのだ。

 

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(注1) Eric R. Kandel, James H. Schwartz, etc. 『PRINCIPLES OF NEURAL SCIENCE fifth edition(日:カンデル神経科学)』, MacGraw-Hill, (2012)

【第3話】カリフラワーとぼくたちの話

 今日もまた8時35分に改札口を通過し、会社の出入り口に42分に到着した。いつも通り。

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 ここは「Interdental Brush Fund Center(歯間ブラシ基金センター)」。傷ついたカリフラワーを保護し、治療を行う非営利組織だ。
 
 チェスターコートを羽織ったカリフラワーが足を組んで澄ましているロゴを見たことはないか?
ーーそう、それさ。おちゃめだろ?
 

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 ところで、人間とカリフラワーは似ている。
 我々がラヂオ体操をするように、奴らはカップヌードルにお湯を多めに入れるし、
 我々が青信号で歩き出すように、奴らは“月曜日のめざましジャンケン”と“サザエさんのジャンケン”の勝敗に心を弾ませる。
 
 人間と植物であるにも関わらず、あまりに似通っていている。その類似性は、しばしば俺の頬を淡く染め上げ、小さなくぼみを形作るのだ。
 
 今日もこのエクボで奴らを休憩させてやろう。

 

【第2話】姉の寝起き

 今朝は父が炊事当番ということはテーブルに並べられたお皿を見ればすぐにわかる。父が当番のときは決まりきった同じものが用意されているからだ。
 細かく刻んだ笹の葉とドッグフードを混ぜ、牛乳で仕上げたシンプルな朝ごはん。

 

 犬と牛とパンダ混ぜたらほぼ人間だろ。
 
 というのが父の言い分。一理あるのかも。
 

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 なぜタヌキではなく牛なのか、人間のみみたぶはどこから持ってくるのか、限られた数えるほどの問題点に思考を巡らせていると、パタパタと足音が近づき台所の扉が大げさに開いた。姉だ。
 青ざめた顔をした彼女のもみあげには、昨日の晩御飯のひじきが絡まっていた。
 
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「目覚まし時計代わりに、ゴーヤーを昨晩置いておいたのに起こしてくれなかった!なんなの?!」
 朝食は中断。僕は席を立ち、ねぐせとひじきを軽快に揺らし喚き散らす姉に応じる。
 
「そんなの起きれるわけないじゃん。」
 姉は頭にクエスチョンマークを並べ、困惑の表情を浮かべている。どうしてわかっていないのかなぁ、見つからないように小さくため息を吐く。
 あっちへこっちへと弾んでいたひじきも落ち着きを取り戻し、彼女のもみあげには平穏が訪れていた。
 
 姉からゴーヤーを受け取りまな板の上に静かに載せ、洗濯バサミで真っ二つに切る。気品溢れる切断面から赤色の種と淡黄色のわたがこれみよがしに顔を出した。
 
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「見てよ。このゴーヤー熟れすぎだよ。」
 洗濯バサミに付着したわたを拭い取りつつそう言うと、彼女はゴーヤーの種をおへそにはめ体いっぱいに笑った
「そっか!」
 
 いつの間にやら彼女のもみあげには黒い花が添えられていた。

【第1話】行き慣れた喫茶店での姉との再会

 

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 冷えた風がぼくの手をなめらかになぞり、熱を帯びた体をゆるやかに冷ます。 
 日が暮れるにつれてさらに空気が冷えるだろう。持ってきておいた衣類に視線を落とし安堵した。
 
 店先には“営業中”という影文字を形作る木の枝が無造作に組まれ、立てかけられたブラックボードにはメニューが書かれていた。
 
“昨日のメニュー 刻みはんぺんと刻み大根の赤味噌風味おでん”
 
 お店の前に広がる田畑を眺めていると、待ち合わせの人物がやってきた。
「ごめんごめん、【“ガスコンロ”の“スコン”とは何なのか町内会】が長引いて遅れちゃった。」
「いいよ、お姉ちゃん。入ろう。」
 
 受付カウンターの上には手書きのメモが置かれており、ぼくらの後を追ってきた冷たい風によって不本意そうになびいていた。
 
「御用の方はこちらのスイッチを押してください。」
 
 メモに従い色褪せたスイッチを二度叩いた。
 フロッピーディスクの開けてはいけない部分を繰り返し開閉するような乾いた音が店内の空気を揺らす。すると、退屈だったのであろうか。目を凝らすと数種の気体分子が楽しそうに運動している様子を確認できた。
 
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「ふたりとも、いらっしゃい」
 端整に畳まれたアロハシャツをおでこに貼り付けた店主がゆったりと奥から現れ、一歩一歩受付へと近づきながら続ける。
「いつものでいいかい」
 
 ぼくと姉は膝を屈伸させ首を右から上に連続して振った。
 店主は小さく肯き、奥のテーブルを指差した。その指先にはめられた、みずみずしい輪状の人参が光を反射していた。
 
 席につくと姉はカバンをおろし椅子に腰を据えた(カバンの上ではない)。ぼくはマフラーとニット帽を外し、耳にかけていた長袖Tシャツに首を通した。
 
 ふいに、姉が「ねぇ、見て」と柔らかく誘導する。
 視線を向けると、懐かしさに目を見開いた。小学生の頃姉とよく遊んだ熊と鳥の冒険を題材としたテレビゲームの宣伝が描かれた大根が壁に突き刺さっていた。当時、母親に買ってもらってどれほど二人で喜んだことか。その話は今でも食卓を彩る。発売日なんてとうに過ぎていて中古で買ったのにあなたたちの無邪気な喜びようといったら......と無邪気に母が何度も話す。

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 さて、何から話そうか。姉とは数年ぶりに会う。姉はこの間に就職し、結婚を経て二児の母となったようだ。一方ぼくは来年の春に社会人となる。社会人のコツでも聞いてみようか、結婚生活でも聞いてみようか。
 いや、そういえば姉に自分の夢について話そうとしていたんだったっけ。
 
 静寂、かつ心地よい木の匂いに包まれる中、考えを巡らせていると姉の鼻腔からマヨネーズが垂れた。とっさに彼女は頬を淡く染め小さな笑みを浮かべ言葉を紡いだ。
「私、花粉症なの。」

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